真田の庄-その1 砥石城を守る「雀の槍」
5月はじめに “砥石崩れ” で知られる砥石城を訪れた。
砥石崩れ(または砥石崩し)とは、若き日の武田信玄(晴信)が村上義清に記録的な大敗をしたものだ。
難攻不落の城を無理に攻めて失敗、さらに敗走する武田軍が追い討ちされた。総勢7,000人の武田軍のうち千数百人の死者を出したとされる。
(「翔ける合戦屋」(北沢秋、双葉文庫)には攻防戦の迫真の描写がある。合戦屋シリーズ全3巻はおすすめ)
東太郎山という尾根に沿って南側から順に砥石城、本城、枡形城がある。

地図の右側から観た尾根がこれ。

しかもこの下には神川が流れている。(地図では右端)
真田昌幸が徳川軍を撃退した「神川の合戦」(第一次上田合戦)で知られる神川だ。
唯一の攻城ルートは南側の斜面。

頑丈な階段は近年整備されたもので、当時は階段がないどころか、立木も伐採されていたはずである。
手がかり足がかりの何もない、難攻不落な城郭だったであろう。
急斜面を写真で示そうと、周囲を探しまわって撮ったのがこれ。

この面は切岸(きりぎし)と言って、斜度が緩い場所を削って急傾斜にしたものだそうだが、どの面もここと同じくらいの斜度であった。

平地では互いに寄りかかりながらとげを引っかけて立ち上がるのだが、ここではほふく前進しているように見える。そのくらい急傾斜ということだ。
頂上の眺めは好いのだが、残念ながらめだった遺構はなく、猫の額ほどの広場。
それにしても武田晴信は、明らかに無謀と思える砥石城攻めをなぜ決行したのか?
聡明で知られる武田晴信だが、若気の至りということだろうか? 腑に落ちない。
砥石崩れの翌年、この城は真田幸隆によって一夜にして落とされたという。調略だろうという説があるが、記録がなく真相は不明だそうである。
砥石城を含む真田の庄は、もともと真田一族のものであったのが、信濃で勢力を広げた村上義清に奪われたものである。追われた真田幸隆はその後武田晴信に属し、この功績によって取り戻した。
さて、本城へは、気持ちの良い、明るい尾根伝いを進む。



誰が命名したのかわからないが、「雀が大名行列で持つ槍」とは、ほのぼのとしたうまい名前だ。

ちなみに、槍の頭の部分は苞葉である。横にもう一つ小さな苞葉が出て、鎌槍のようになっている。
400年以上も前の城跡をスズメノヤリが守っているとは…
それにしても、城跡を訪れたにもかかわらず、それらしい写真を撮ってないことに気が付いた。
遺構がないこともあるが、これはひどい。反省。
せめて上田市の観光ガイドをご覧いただきたい ⇒
余談ですが…
砥石城は、昨年も行ってみようとしたのだが、カーナビにも道路地図にも載ってなくて、断念した。
そこで今回は、はじめに「真田歴史館」というところに行って、砥石城などの周辺情報を仕入れたのだった。
地図にないだけに、道なき道を行く覚悟をしていたのだが、登り口にはきれいな案内板(頭書に掲載)があり、コンクリート製の階段が整備されていた。
来年のNHK大河ドラマで真田幸村を取り上げるそうなので、それであちこち整備しているのだろうか。
上田市内は、いたるところに六文銭のノボリが掲げられ、大いに盛り上がっていた。
次回はタンポポの攻防の予定。
2015年6月2日、報告:自然観察大学 事務局O
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