虫のショート・ショート -第3話-
第3話
(ノンフィクション)
挽 歌
平塚四郎
(写真:河合省三氏提供)
暗い洞窟の中は、かつての人類がそうであったように、いろいろな動物にとって絶好の隠れ家になっているが、そのほかにも、ここで生まれてここで死んでゆく根っからの洞窟生活者が意外なほどたくさん住んでいる。世界中で1千万種とも1億種ともいわれる昆虫類のいくばくかの種類が洞窟の中を生活のよりどころにしていても何の不思議もない。洞窟昆虫 ― これがこの仲間に付けられた俗称である。
一口に洞窟昆虫と言ってもその中にはかなり雑多なグループのものが含まれているが、一様に盲目で、小型で、白か薄茶色の淡色で、たぶんに小心の日蔭者であることなどは共通している。その上、大きな特徴は洞窟相互間の交流がその間の“明るい世界”の存在のために制限され、移動は地下水系が頼りで、中には同じ洞窟の中で代々生活を繰り返す種類も少なくないとのことである。こうして長い歴史は洞窟ごとに異常に勢力範囲の狭い “種” を作り出していった。
洞窟昆虫の専門家の神田が “その洞窟” に足跡を残したのは全くの偶然であった。九州で開催された学会に出席した帰路、列車で隣に座り合わせた老人と雑談中、たまたま話が洞窟のことに及び、“その” 存在を知ったのである。
老人は瀬戸内海に面したS市で長く小学校の校長をしていたとのことであった。生物にはかなりの興味を持っているらしく、神田の洞窟昆虫の話をたいそう熱心に聞いたあと、S市のそばにも戦前に発見され、ほとんど人の入ったことのない洞窟があることを教えたのである。その洞窟は入口が狭く、中は迷路になっていて起伏も激しく、危ないので入口は市で柵を設けて立ち入り禁止にし、生徒にも常々近づかないように注意してきたという。そして老人は神田に、途中下車してこの洞窟を見てゆくことを熱心にすすめた。「今夜は家に泊まっていただき、明日案内する」という老人の過剰な親切に神田は少々辟易しながらも、かなり食指も動いた。何よりもS市のような大きな都市のそばのそんな便利な場所にほとんど手つかずの処女洞窟があることに興味をそそられた。
こうしてその夜、老人に輪をかけたようなお人よしの夫人にビールを差されながら、深夜まで老人自慢の“石談義”を聞かされる羽目になったのである。
その洞窟は小高い丘のむき出しの石灰岩の岩壁に灌木で覆われ、ひっそりと小さな口を開いていた。立入禁止の木札はもう長らく放置されていたと見え、半ば朽ちかけ、入口をふさいだ柵も壊れてその役をなしていなかった。中をのぞいて神田は直感的にそれが危険な穴であると感じたが、収穫がありそうなことも長年の経験が教えていた。同行を主張する老人に入口で待っていてくれるように説得し、老人から借りた丈の合わない古ズボン姿で、単身でもぐりこんだ。
40メートルくらいまでしか行けなかった。身をかがめ、ときには地面に這って通リぬけてきた道は、そこで10メートル四方くらいの大広間につながったが、広間はそのまま地底湖になっていたからである。懐中電灯の淡い光は湖の周囲の壁に、さらに奥につながっているらしい三つの入口を照らし出したが、準備のない神田はどうすることもできなかった。
約1時間 ― それが神田の洞窟滞在時間のすべてであったが、老人は待っていたことよりも、いっしょに中に入れなかったことにまだ不満そうであった。収穫は神田が常時持ち歩いているアルコールチューブを半分ほど満たしたにとどまったが、日の光の下で見ると、その中の神田が専門とする10匹ほどの小さなゴミムシは、一見して新種と分かるものであった。
東京に帰り、老人への礼状とともに、神田がたまたま持っていた唯一の “石” である人頭大の 「佐渡の赤石」 を送った。折り返し老人から石の礼とともに、神田が約束した再度の調査を楽しみにしていることや、次回は自分もいっしょに穴に入りたいことなどを長々と述べた手紙がとどいた。その年のうちに神田はゴミムシの学名に老人の名を付けて発表し、老人を大いに感激させた。
その後、老人とは何度か手紙の往復が続いたが、再訪の約束は果たせないまま、2年目に脳梗塞による老人の突然の死亡通知に接した。神田が再びS市を訪れたのは、それからさらに4年の年月が流れていた。
神田は瞠目した。ないのである。石灰岩の丘が一つ、そっくりなくなっているのである。そこはすっかり小高い平地になり、忽然と大団地が出現していた。
車窓からS市の周辺に立ち並んだ大工場群を見て、6年の歳月を感じてはいたが、あの神秘の洞窟ごと丘が一つ、ブルドーザーに巻き込まれたとは夢にも思わなかったことであった。
まだできたばかりで入居者もなく、しらじらと立ち並ぶ巨大な建造物群を前に、洞窟探検用の物々しい装備を付けたまま神田は痴呆のように立ちつくしていた。
工事関係者にも、これからこの団地に住む人たちにも、全く知られることなく、こうして一つの種が地球上から抹殺された。
かつて存在した事実を数ページの論文と、数個体の標本に残して、長い暗い歴史を静かに閉ざしたのである。
(日本昆虫学会50周年「記念大会かわら版」第1号<1967.09>より)
※ 第1話の前書き参照
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本編のモデルは洞窟学、両生類、およびゴミムシ類の専門家の上野俊一氏。枝葉部を除き、氏から聞いた実話。この新種に氏が付けた和名は「ウスケメクラチビゴミムシ」。この話をある本で紹介したとき、出版社で和名の差別語が問題になり、女性の編集者はウスケやチビやゴミまで含めてこの虫に深い同情を示した。ぼくも当時日本昆虫学会の会合でこの問題を話題にしたが、動物の固有名なので問題はないとウヤムヤになった。その後、現在までにメクラウナギなどの他動物を含めて差別語名は、使用頻度が多い害虫ゆえに、外部からの強い抗議で改名したカスミカメムシを例外として、改称の動きはない。
………………………………………………………………………………………………
2012年3月7日、報告:自然観察大学 学生 つくば市:けんぞう
by sizenkansatu
| 2012-03-07 12:43
| その他
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