自然観察大学ブログ

<   2012年 03月 ( 9 )   > この月の画像一覧




雑草の春-1 ツクシの話

【注】文末にお詫びと訂正があります

ツクシが出た
d0163696_201852100.jpg
3月25日。今年はじめて、ツクシを観た。
左から順に、伸びる過程を見せるように並んでいた。
右端の穂を拡大して見よう…
d0163696_20192324.jpg
緑色の粉状のものはスギナの胞子。
ちなみに、緑色は葉緑素のためで、緑色の胞子は寿命が短いそうだ。

恥ずかしながら、かつて私は、これをスギナに寄生する菌と思い込んでいた。
「みなさん、これは胞子ですよ!」

別のツクシも観てみよう。
d0163696_20194791.jpg
ギザギザに見えるのは “はかま” といわれ、葉に当たるもの。茎の節々にはかまがつく。
d0163696_20201567.jpg
拡大すると胞子の粒まで見える。
まだ伸びきっていない穂だが、先端のほうはすでに胞子を飛ばし、抜け殻になっている。

形とくらしの雑草図鑑』(岩瀬徹、全農教)で各部の呼び名を確認しよう。
d0163696_202113100.jpg
穂の全体を胞子嚢穂(ほうしのうすい)と言う。
うろこ状のものは胞子嚢床(ほうしのうしょう)で、緑色の袋状のものが胞子嚢だ。
胞子がなくなると袋は白い膜となって残る写真(右上)。

上の胞子の箇所を拡大してみよう。
d0163696_20215141.jpg
これは顕微鏡レベルの倍率が必要で、ルーペでの観察はちょっと無理だ。


スギナは胞子では増えない?

ところで、スギナはこれだけ多数の胞子を飛散させながら、胞子では繁殖しないと考えられている。
地下茎で繁殖するというのだ。ということは、日本中のスギナはクローンということか?
“考えられている”とあいまいなのは、誰もそのことを確認できないからで、全部の胞子が発芽しないことを確認するなんて不可能だからだろう。
とすると、人知れず、どこかの片隅で胞子から発芽するスギナがあるのかもしれない。そのときはシダ植物らしく前葉体(配偶体)を経て受精し、スギナになるのだろうか?
スギナの属すトクサ科トクサ属のシダには暗条件で胞子発芽が確認されたものがあるらしい。(ウィキペディアで見た)
う~む。スギナの前葉体を見てみたい。

【余談】けっこうキケンなウィキペディア

ふだんウィキペディアにはずいぶんとお世話になっているが、今回スギナの記載で次のような気になる箇所があった。

Wiki “浅い地下に地下茎を伸ばしてよく繁茂する。”
浅い、というところに抵抗がある。少なくとも数十cmまでは自分の眼で確認しているし、深さ1mとか2mなどという情報もある。まあ、地球規模で考えると浅いとも言えるが。

Wiki “生育には湿気の多い土壌が適しているが、畑地にも生え、難防除雑草である”
… 湿気の多いところにはスギナはあまり見られず、イヌスギナが多い。野外観察ハンドブック/シダ植物』 (村田威夫・谷城勝弘、全農教)ではスギナの項で “日当たりのよい草地、道端、庭、空き地などに生育する” と記載がある。ウィキペディアではイヌスギナとスギナを混同している可能性が高い。

Wiki “胞子は球形で、2本の紐(4本に見えるが実際は2本)が1ヵ所から四方に伸びている。これを弾糸という。”
…前掲のように 形とくらしの雑草図鑑 では “4本の弾糸” とある。牧野図鑑も4本だ。見た目では2本と4本の両方あるようにも思える。

情報収集は必要だが、やはり自分の眼で観たことをたいせつにしたいものだ。

2012年3月29日、報告:自然観察大学 事務局O

【お詫びと訂正】 追記:4月2日
スギナの胞子発芽について、ミルフイユさんのコメントと同時に、村田威夫先生からも次のご指摘いただきました。
………………………………………………………………………
スギナは、胞子での繁殖と、地下茎による栄養体生殖の両方をやっていると思います。
胞子は水苔や瓦に播くと良く発芽をして、前葉体を作ります。特に胞子を密に播くと、細いリボン状の雄の前葉体(造精器のみを持つ)になります。胞子を粗く播いたり、比較的栄養状態の適した条件を保つと幅のやや広い雌の前葉体(造卵器を持つ)を生じます。後者には造精器をつけることもあるようです。
野外では、地下茎で繁殖しているのは芽で確認できますが、胞子での繁殖は確認できにくいです。実験室で簡単に発芽しますので野外でも行われていると考えるのが自然です。このように2通りの方法をする植物は珍しくないです。

スギナの生育環境は非常に幅広いです。湿った土地や乾燥した土地でも生育します。湿った土地に見られるスギナは全部イヌスギナとはいえません。湿った土地にはスギナとイヌスギナの両方生育可能です。より湿った水田などにはイヌスギナの方が比較的多く見られます。乾燥した土地には一般にイヌスギナは見られません。
自然観察大学講師 村田威夫
………………………………………………………………………

えらそうなことを言っておきながら、自分で確かめてない誤った情報を記載してしまいました。申し訳ございません。
スギナの胞子発芽については、追体験してまたご報告させていただきたいと思います。 (事務局O)
[PR]



by sizenkansatu | 2012-03-29 20:26 | 植物 | Comments(3)

梅が満開

d0163696_12402057.jpg
3月25日。
d0163696_1241054.jpg
満開の梅。
d0163696_12413824.jpg
いつも生物の名前はカタカナで記すようにしているが、梅はウメではなく“”と表したい。
d0163696_12423471.jpg

撮影場所は、千葉県市川市の “じゅんさい池緑地” というところで、この公園にはちょっとした梅林がある。
3月11日に梅まつりがあったが、今年は季節が遅れ、2週間後のこの日こそが見ごろのようだ。
関係の方には申し訳ないが、お祭とずれてくれてよかった。
桜の場合は花見でにぎわうのもよいが、やはり梅には静かさが合う。

2012年3月28日、報告:自然観察大学 事務局O
[PR]



by sizenkansatu | 2012-03-28 12:46 | 植物 | Comments(3)

雑草の冬越し-5 冬から春へ

3月20日に、久しぶりに雑草が観察できた。
冬越しから春へ、写真で比べてみよう。

オオイヌノフグリとホトケノザ
d0163696_1257827.jpg
左がオオイヌノフグリで、右はホトケノザ、あるいはヒメオドリコソウか? 
これは厳冬期の写真で、若いときはちょっと似ていて区別が難しい。

次が3月20日現在。
d0163696_125733100.jpg
冬枯れの中の鮮やかな彩が、いっきに春めいたことを感じさせる。
オオイヌノフグリもホトケノザもまだ少し姿勢を低くしている感じだ。
後にあるのはナズナ。

オオイヌノフグリの冬から春

オオイヌノフグリは年末にも花をつけていた。
d0163696_12582327.jpg
イヌムギやギシギシ類の間で、寒風を避けるかのように低い姿勢だった。
数少なく目立たないが、厳冬期でも花を着けるとは驚きだ。

こちらは3月20日のオオイヌノフグリ。
d0163696_12585963.jpg
これから旬を迎えるこのくらいのオオイヌノフグリが、いちばん好ましい。
d0163696_12594352.jpg
もう1カット。
毎年撮っているのだが、ついまた撮りたくなってしまう。
薄青色の花と鮮やかな緑を同時に再現するのは難しく、なかなか納得できる写真が撮れないこともある。

ミツバチがやってきた。
d0163696_130826.jpg

ニホンミツバチだ。
小さい花なのでちょっと効率は悪そうだが、懸命に働いていた。この時期には貴重な収入源なのだろう。

ホトケノザの冬から春

寒いとき、紅葉したホトケノザを見かける。
d0163696_1304816.jpg
この赤い葉は、樹木の紅葉と同じでやがて落葉してしまうのだろうか?
びっくりするほど鮮やかに赤いのを見ることもある。

同じ日(1月9日)に、少し離れた場所で花をつけているのがいた。
d0163696_1312571.jpg
精いっぱい花を伸ばして陽射しに近づこうというのだろうか? 仏様の台座の部分は枯れかかったような色だ。

次は現在のホトケノザ。
d0163696_1321389.jpg
やっぱり旬の雑草は好い。

「雑草の冬越し」観察は以上で終わり。日々春めいてきているというのに、なかなかアップできずに間の抜けた報告になってしまった。
申し訳ありませんでした。

2012年3月26日、報告:自然観察大学 事務局O
[PR]



by sizenkansatu | 2012-03-26 13:04 | 植物 | Comments(2)

雑草の冬越し-4 動き続ける雑草

今回も越年する雑草のつづき。(季節外れで申し訳ありません)
厳寒の季節にも活動し続けるカラスノエンドウとハコベを観た。

カラスノエンドウの葉の変化
d0163696_20464543.jpg
画面右側のカラスノエンドウは細長い小葉が2枚。もう、ちゃんと巻きひげがあって2本が支え合うように伸びている。
画面左もカラスノエンドウだが、丸い小葉が3-5枚だ。
カラスノエンドウの葉は次のように変わっていくイメージがある。

  細長い小葉が2枚。秋の芽生えはこれ。
  
  丸い小葉。数は少なめ。早春まではこのタイプが目立つ。
  
  細長い小葉で、数は多い。普通は12枚か? 花を着ける時期はこのタイプ。

d0163696_20472450.jpg
これもカラスノエンドウ。裸地では全体のようすがよくわかる。
寒い季節には地表低く広がって、自分の縄張りを確保しているようだ。
暖かくなるとここから立ち上がって、うっそうと繁る。

ハコベのひねた子ども
d0163696_20481810.jpg
ハコベもはじめは低く広がり、そのあとで立ち上がってくる。条件の良いところではカラスノエンドウに負けないくらい壮大な群落になることもある。

よく観ると先端に花をつけていた。
d0163696_20484733.jpg
雄しべが4つなのでコハコベ。厳冬期でも立派に開花している。
d0163696_2050692.jpg
すぐそばに、芽生えて間もないハコベがあった。
d0163696_20504178.jpg
こちらはもう果実をつけている。芽生えてすぐに開花・結実したのだ。
う~む。こんなに小さいのに立派な大人だ。

2012年3月22日、報告:自然観察大学 事務局O
[PR]



by sizenkansatu | 2012-03-22 20:58 | 植物 | Comments(1)

雑草の冬越し-3 ロゼットを切ってみた

冬越しの話の続きである。
年末から年始にかけての話だが、そのつもりで見ていただきたい。

ナガミヒナゲシ
d0163696_1227068.jpg
ナガミヒナゲシ。道ばたや畑地の周辺で、このところ急激に勢力を伸ばしたインベーダーだ。

中心部を拡大してみた。
d0163696_12272857.jpg

ゴチャゴチャしてよくわからないので、切断面を見せていただこう。
d0163696_12281284.jpg
中央の円い部分が茎なのだろう。中が空洞っぽくなっているのは、切り方がまずかったためだろうか。
上部は平たくなっていて、多数の新葉がいっせいに開こうとしている。

ほかのロゼットを観よう

d0163696_1228492.jpg
これはメマツヨイグサ。
ぺったりと地表に貼り付くイメージがあるが、根生葉の付け根は意外に立ち上がっているものだ。

d0163696_12291772.jpg
ナズナは、真ん中にもう多数のつぼみをつけていた。
茎になる部分が出はじまったところで、名前のとおり “出花” だ。
鬼も番茶も、出花は麗しく香しいらしいが、ナズナはどうだろうか。

ところで、このあと花茎を立てた “抽苔” した状態を “薹(とう)が立った” と言うが、いにしえの日本人の生活は植物と密接な関係だったんだなぁ と感心させられる。

話はそれますが…

“薹が立つ” というと、思い出すのがキャベツのような結球する野菜だ。
d0163696_123046100.jpg
これが薹が立った状態。昨年の春(4月)に撮ったもので、採り残されたキャベツは抽苔して立派な花を着ける。
このときの畑のそこかしこに、異様なキャベツの姿があった。
d0163696_1231963.jpg
巻いた葉がバリバリに避けてしまって、花茎もぐちゃぐちゃ。結球が硬すぎたのだろう。
品種改良はヒトの都合であって、作物にとっては捻じ曲がった進化であることが改めて知らされた。

2012年3月19日、報告:自然観察大学 事務局O
[PR]



by sizenkansatu | 2012-03-19 12:34 | 植物 | Comments(2)

虫のショート・ショート -第4話-

d0163696_12481543.jpg

第4話
( S F )

黒 蛾



平塚四郎


 世界連邦昆虫学会日本地区代表のP博士は困っていた。連邦学会の依頼で研究中のアフリカクロヒトリの幼虫が、自動飼育装置の中で便秘症状を起こして死んでしまうのだ。手持ちの天敵寄生蜂のストックには野外で放飼試験ができるほどの余裕がなかった。

 かつての害虫類は、画期的な万能殺虫剤 “ウルトラQ” の出現で、20年も前に完全に制圧されていた。年寄りが若者を叱るのに「カに食われたこともないくせに」という慣例語があることでもその徹底さが知れるが、それは害虫だけではなかった。いまや世界中にわずか1万余種の昆虫しか存在せず、そのすべてが人類の保護管理の下に置かれていた。たまに博物館で公開されるかつての多彩な昆虫類の標本を見て、人類はいまさら失ったものの大きさを知ったのである。夏になると放送は在りし日のセミの声を連日流し、年寄りは夏の林で恋を語らった青春の日を回想するのである。

 ところが20年もたって、降ってわいたように、アフリカの一角でマンゴーやバナナの葉を食べている多食性の新種のガの幼虫が発見された。連邦学会は驚喜し、保護増殖のための小委員会が設置され、マスコミもこぞってこの現代の奇跡に飛びついた。

 成虫の体色からアフリカクロヒトリという和名が付けられた。
 昆虫学の高度な技術は、見事にこの害虫の発生量を制御し、わずか2年間で世界中に配布することに成功した。東京でもロンドンでも、最近緑化に成果した南極でも、人びとは樹木に数匹ずつ付いている毛虫を眺めて幸福であった。

 配布から3年目、アフリカクロヒトリは昆虫学者の自信を完全に裏切った。失敗例が皆無だった発生抑制剤が初めて失敗し、各地で思いがけない大発生を起こしたのだ。巨大化した文明を冷笑するかのように、このガはまたたくまに、世界中でただでさえ少なくなった樹木を13種も絶滅危惧種に追い込むほどの空前の大害虫にのしあがってしまった。
 生産が禁止されていたウルトラQが急きょ再生産されることになったが、これも哀れをとどめた。ウルトラQの箱の中から薬まみれの元気な蛹が発見されたのである。
 P博士が人工飼料で保持していた、いまや寄主のいない6種の寄生蜂が脚光を浴びることになった。期待をかけて連邦学会はP博士への膨大な研究費の支出を可決した。
 P博士は気が重かった。最近極度に育ちの悪くなってきたこの寄生蜂が救世主になるとはとても思えなかったからである。研究費を辞退したとき、たちまちこれを美談としてとらえ、いまにもP博士が大害虫をひねりつぶしてしまうように書き立てたマスコミを苦々しく思い返していた。

 話は冒頭に戻る。昆虫学者が百年の歳月をかけ、技術を結集して完成させた自動飼育装置のこれも初めての失敗例であった。アムステルダムの世界最大のスーパーコンピューターにその理由が問われた。しかし、回答はこのコンピューターの能力を超えていたようである。ただ、この害虫に対する野外条件と自動飼育装置内の条件の違いを60項目にわたって指摘してきた。ひとつひとつ、またひとつ、P博士は根気よくこれらの項目を実験で否定していった。60項目の中に幼虫の便秘死亡の謎は隠されていなかった。

 P博士は愛用の日本酒を飲みながらアラスカの黒い海を見ていた。海流変動装置の作用で、このあたりの冬の気候もかなり変わってきてはいたが、風の冷たさが身にしみた。半年もかかって何一つコメントを出さないP博士に対して、手の裏を返したように高まる非難の声から抜け出して、ここへきてから半月になる。
 一方、休眠性もなく、耐寒性の異常に強いアフリカクロヒトリは、冬になっても一向に勢力が衰えず、ついに2種の樹木を絶滅リストの中に放り込んでいた。
 指輪のコールサインが点滅し、仕事を任せてきた助手の明るい声が飛び込んできた。「先生、育ちました! 幼虫が!」。

 2時間後、P博士は再び研究室に立っていた。コンピューターは幼虫の便秘死亡の原因が飼育者の違いにあり、とくにP博士の身体から発する何かの物質が関与していることを伝えてきた。比較の結果、このような物質のうち、助手にはなく、P博士だけにあるものは、わずか30種にも満たないことが判明した。
 意外な事実が判明した。P博士は毎晩 “本物の日本酒” を飲んでいる。日本酒はすでに完全に合成で作られ、特用作物のコメから醸造するのは全く無駄なことであった。道楽のないP博士はただひとつ、この高価な無駄を楽しんでいたのである。助手も無類の酒好きだったが、もちろん吐息の中には酒酵母に由来する物質は含まれていない。
 アフリカクロヒトリの幼虫の便秘因子は酒酵母の中にあった。この物質の抽出・構造決定・大量生産・野外散布までの流れ作業は、まさにコンピューターの独壇場である。
 それから半年、忽然として現れた大害虫は唐突として消えていった。

 この物語は終わる。P博士の寄生蜂は全く役に立たなかった。代わって世界の脚光を浴びたのはP博士自身だったのである。それとても長くは続かなかった。人類はまた目先の利益にとらわれて一つの種を消してしまったのだ。
 抗議の手紙の山を前に、P博士は晩酌を “普通の日本酒” に代えることを考えていた。

(日本昆虫学会50周年「記念大会かわら版」第4号<1967.11>より)
第1話の前書き参照
………………………………………………………………………………………………
本編は戦争直後にアメリカから侵入して大発生を繰り返し、行政的にも大問題となっていた樹木害虫のアメリカシロヒトリのパロディーである。当時、ぼくも伊藤嘉昭・日高敏隆・正木進三氏らの虫仲間と本種の自主的な研究会を組織し、その総合的な研究を行っていた(伊藤嘉昭編『アメリカシロヒトリ-種の歴史の断面』1972、中公新書参照)。一方、ぼくは同じころ台頭してきたSF小説にはまり、読み漁ってもいた。本編はそうしたことが背景になっている。  (完)
………………………………………………………………………………………………


2012年3月8日、報告:自然観察大学 学生 つくば市:けんぞう
[PR]



by sizenkansatu | 2012-03-08 12:52 | その他 | Comments(0)

虫のショート・ショート -第3話-

d0163696_12372111.jpg



第3話
(ノンフィクション)

挽 歌

平塚四郎


(写真:河合省三氏提供)

 暗い洞窟の中は、かつての人類がそうであったように、いろいろな動物にとって絶好の隠れ家になっているが、そのほかにも、ここで生まれてここで死んでゆく根っからの洞窟生活者が意外なほどたくさん住んでいる。世界中で1千万種とも1億種ともいわれる昆虫類のいくばくかの種類が洞窟の中を生活のよりどころにしていても何の不思議もない。洞窟昆虫 ― これがこの仲間に付けられた俗称である。
 一口に洞窟昆虫と言ってもその中にはかなり雑多なグループのものが含まれているが、一様に盲目で、小型で、白か薄茶色の淡色で、たぶんに小心の日蔭者であることなどは共通している。その上、大きな特徴は洞窟相互間の交流がその間の“明るい世界”の存在のために制限され、移動は地下水系が頼りで、中には同じ洞窟の中で代々生活を繰り返す種類も少なくないとのことである。こうして長い歴史は洞窟ごとに異常に勢力範囲の狭い “種” を作り出していった。

 洞窟昆虫の専門家の神田が “その洞窟” に足跡を残したのは全くの偶然であった。九州で開催された学会に出席した帰路、列車で隣に座り合わせた老人と雑談中、たまたま話が洞窟のことに及び、“その” 存在を知ったのである。
 老人は瀬戸内海に面したS市で長く小学校の校長をしていたとのことであった。生物にはかなりの興味を持っているらしく、神田の洞窟昆虫の話をたいそう熱心に聞いたあと、S市のそばにも戦前に発見され、ほとんど人の入ったことのない洞窟があることを教えたのである。その洞窟は入口が狭く、中は迷路になっていて起伏も激しく、危ないので入口は市で柵を設けて立ち入り禁止にし、生徒にも常々近づかないように注意してきたという。そして老人は神田に、途中下車してこの洞窟を見てゆくことを熱心にすすめた。「今夜は家に泊まっていただき、明日案内する」という老人の過剰な親切に神田は少々辟易しながらも、かなり食指も動いた。何よりもS市のような大きな都市のそばのそんな便利な場所にほとんど手つかずの処女洞窟があることに興味をそそられた。
 こうしてその夜、老人に輪をかけたようなお人よしの夫人にビールを差されながら、深夜まで老人自慢の“石談義”を聞かされる羽目になったのである。

 その洞窟は小高い丘のむき出しの石灰岩の岩壁に灌木で覆われ、ひっそりと小さな口を開いていた。立入禁止の木札はもう長らく放置されていたと見え、半ば朽ちかけ、入口をふさいだ柵も壊れてその役をなしていなかった。中をのぞいて神田は直感的にそれが危険な穴であると感じたが、収穫がありそうなことも長年の経験が教えていた。同行を主張する老人に入口で待っていてくれるように説得し、老人から借りた丈の合わない古ズボン姿で、単身でもぐりこんだ。
 40メートルくらいまでしか行けなかった。身をかがめ、ときには地面に這って通リぬけてきた道は、そこで10メートル四方くらいの大広間につながったが、広間はそのまま地底湖になっていたからである。懐中電灯の淡い光は湖の周囲の壁に、さらに奥につながっているらしい三つの入口を照らし出したが、準備のない神田はどうすることもできなかった。
 約1時間 ― それが神田の洞窟滞在時間のすべてであったが、老人は待っていたことよりも、いっしょに中に入れなかったことにまだ不満そうであった。収穫は神田が常時持ち歩いているアルコールチューブを半分ほど満たしたにとどまったが、日の光の下で見ると、その中の神田が専門とする10匹ほどの小さなゴミムシは、一見して新種と分かるものであった。

 東京に帰り、老人への礼状とともに、神田がたまたま持っていた唯一の “石” である人頭大の 「佐渡の赤石」 を送った。折り返し老人から石の礼とともに、神田が約束した再度の調査を楽しみにしていることや、次回は自分もいっしょに穴に入りたいことなどを長々と述べた手紙がとどいた。その年のうちに神田はゴミムシの学名に老人の名を付けて発表し、老人を大いに感激させた。
 その後、老人とは何度か手紙の往復が続いたが、再訪の約束は果たせないまま、2年目に脳梗塞による老人の突然の死亡通知に接した。神田が再びS市を訪れたのは、それからさらに4年の年月が流れていた。

 神田は瞠目した。ないのである。石灰岩の丘が一つ、そっくりなくなっているのである。そこはすっかり小高い平地になり、忽然と大団地が出現していた。
 車窓からS市の周辺に立ち並んだ大工場群を見て、6年の歳月を感じてはいたが、あの神秘の洞窟ごと丘が一つ、ブルドーザーに巻き込まれたとは夢にも思わなかったことであった。
 まだできたばかりで入居者もなく、しらじらと立ち並ぶ巨大な建造物群を前に、洞窟探検用の物々しい装備を付けたまま神田は痴呆のように立ちつくしていた。

 工事関係者にも、これからこの団地に住む人たちにも、全く知られることなく、こうして一つの種が地球上から抹殺された。
 かつて存在した事実を数ページの論文と、数個体の標本に残して、長い暗い歴史を静かに閉ざしたのである。

(日本昆虫学会50周年「記念大会かわら版」第1号<1967.09>より)
第1話の前書き参照
………………………………………………………………………………………………
本編のモデルは洞窟学、両生類、およびゴミムシ類の専門家の上野俊一氏。枝葉部を除き、氏から聞いた実話。この新種に氏が付けた和名は「ウスケメクラチビゴミムシ」。この話をある本で紹介したとき、出版社で和名の差別語が問題になり、女性の編集者はウスケやチビやゴミまで含めてこの虫に深い同情を示した。ぼくも当時日本昆虫学会の会合でこの問題を話題にしたが、動物の固有名なので問題はないとウヤムヤになった。その後、現在までにメクラウナギなどの他動物を含めて差別語名は、使用頻度が多い害虫ゆえに、外部からの強い抗議で改名したカスミカメムシを例外として、改称の動きはない。
………………………………………………………………………………………………


2012年3月7日、報告:自然観察大学 学生 つくば市:けんぞう
[PR]



by sizenkansatu | 2012-03-07 12:43 | その他 | Comments(0)

虫のショート・ショート -第2話-

d0163696_12482373.jpg第2話(ファンタジー)

幻 屋

平塚四郎

(写真:河合省三氏提供)

 巨大なセレベス島のボネ湾を右に見ながら、われわれT大学生物調査隊の一行12人は、日本から運んだ3台の車でマカッサルから約400キロを北上した。わずか400キロでも、大熱帯林や沼沢地を、あるかないかの小道をたどって一寸刻みに進み、肝心の調査よりも車を通すための土木工事が大半という、悪戦苦闘の連続であった。そしてその作業も限界に近づいたとき、われわれは山岳部の大種族 “トラジャ” の拠点であるマカレ部落にたどり着いた。事故がなかったことが奇跡的ともいえる1カ月の行程であった。
 トラジャはセレベス原住の代表的な種族だがその人口も定かではなく、マカレ部落にしても、われわれ一行を見て住民が隠れてしまうほど文明ずれのしていない仙郷なのである。棟が張り出して見事な彫刻で覆われたトラジャの家屋群は、異常な静まり方と相まってわれわれに妖幻怪奇の世界の迷い込んだかのような錯覚を覚えさせた。
 この部落に調査隊は約1カ月間キャンプを張った。この間、徐々にトラジャの人たちとも言葉が通じなくても心の交流が芽生え、赤道直下の奥地にしては、標高1000メートルの高地だったこともあり、快適な日々が続いた。

 隊員の中に、フーちゃんという男がいた。正しくはT大学植物学教室研究員布施洋三理学士なのだが、本人は職のないまま教室に残ったというだけで、植物学者になるつもりは毛頭なく、卓越した運転技術だけで隊に加えられたという。フーちゃんという愛称には多少軽視の意味も含まれているようであった。もちろんその植物学的な蘊蓄も怪しい限りであったが、不思議にだれからも愛された。怪力の毛むくじゃらの大男に似合わぬ童顔と人の良さ、24歳にもなって子供じみた野次馬根性などなど、調査隊の雑談の輪の中ではいつも中心に彼がいて、こうした隊にありがちな内部のトラブルが一切なかったのも、多分にフーちゃんが緩衝帯となってくれたためである。
 生物調査隊といっても主力は植物班で、昆虫班としては私が申し訳程度に外部から参加しているだけであったが、私の乗る車の運転手をフーちゃんが担当した縁で、私は彼に見込まれ、何かにつけて頼りにされたのである。

 話は先を急ぎ、マカレ最後の夜、「すぐそこ」というフーちゃんにだまされて山道を2時間も歩かされた。彼が私を案内したのはトラジャのみすぼらしい小屋であった。中には娘がたった一人でいて、嬉しそうにフーちゃんを迎えた。私にとって夜、トラジャの、それも娘一人の家を訪問するのは初めてのことで、入口で戸惑っていると、「ナーさん(私の名)ここに座んなよ」と、フーちゃんがまことに鷹揚に言ったものだ。
 トラジャの娘は年頃になると前歯を切る風習があるが、その娘はまだ白い歯をのぞかせていた。まだ二十歳前くらいであろうか。黒い大きな瞳が印象的であった。フーちゃんと知りあったいきさつはわからないが、彼は得意そうに「俺にホレているらしい」という。娘には身寄りがなく、部落でも疎外されているような境遇らしかった。
 それにしても殺風景な部屋であった。古い木のタンスのほかは、フーちゃんの贈り物であろう車のバックミラーが大切そうに壁に掛けてあるだけであった。
 所在ない私を尻目に、フーちゃんはわずかな現地語と手真似を交えて熱心に娘と語り合った。突然娘の目に涙が浮かんだ。彼が明朝の出発を告げたのだ。
 彼は勝手にタンスを開けて私を呼んだ。「ナーさんにこれを見せたかったんだよ」。
私は一驚した。それは古い背負袋であった。形はありふれたものであったが、その表面は無数の甲虫の翅鞘を綴り合せて精巧な幾何模様を構成し、一見して材料は100種を超えていた。暗いランプの下で時代物のその袋は、燦然とトラジャの原始芸術の歴史を物語っているかのようであった。
 「ナーさん、すごいだろう。でも、どうしてもくれないんだ」。思いは私とて同じであった。この地方での私の採集品と比べて、この甲虫たちはなんと絢爛豪華な大型種で満たされていることであろうか。写真機を持ってこなかったことが悔やまれた。
 やがて、私たちは「さよなら」という、淋しげな娘の日本語に送られて小屋を出た。

 帰り道、フーちゃんが立ち止り、シャツのボタンをはずして「ナーさん、持ってきちゃった」と言った。私の顔が蒼白になったのが夜目にも分かったであろう。「返してこい!」と私が怒鳴ったのと、追いかけてきた娘の姿を認めたのはほとんど同時であった。娘は背負袋を両手で抱き締め、後ろ姿の両肩に精一杯の怒りを見せ、裏切りに声をあげて泣きながら月明の中を去って行った。
 フーちゃんにその行為をなじりながら、キャンプに帰り着いたのは午前3時を回っていた。屈託のないフーちゃんの大いびきを聞きながら、私は一睡もできなかった。

 早朝、大勢のトラジャの人びとに見送られ、思い出深いマカレ部落を後にした。見送りの中に、もちろんあの娘の姿はなかった。
 私の横で車を運転しながら、フーちゃんがナップザックを投げてよこした。信じられないことに中身はあの背負袋であった。
 あれから彼はずっと私と一緒だった。私たちの後からあの娘も同じ夜道をたどり、だれかに背負袋を託し、フーちゃんに会わずに帰って行った……。このたった一つの可能性について私は彼に何も聞かなかった。のめりこむように気が重かった。
 「もらっちゃった、もらっちゃった」、フーちゃんはこよなく上機嫌であった。

 蛇足ながら、この背負袋は日本に来なかった。私の知らない間に、小遣いのなくなったフーちゃんが、マカッサルのホテルでオランダ人のオーナーに呉れてしまったのだ。スコッチ2本とのはかない交換であった。

(日本昆虫学会50周年「記念大会かわら版」第3号<1967.10>より)
第1話の前書き参照
………………………………………………………………………………………………
本編はその当時南回帰線直下の別の場所で、ぼくが参加したある動植物調査隊でのよく似た経験に基づく。ぼくにとっては生まれて初めての外国旅行であった。まだ国外調査が珍しかった時代で、NHKから取材班が同行し、帰国後何回にもわたってその様子が放映された。あれから40余年、フーちゃんのモデル君もいまや幽明を異にしている。合掌。
………………………………………………………………………………………………


2012年3月6日、報告:自然観察大学 学生 つくば市:けんぞう
[PR]



by sizenkansatu | 2012-03-06 12:54 | その他 | Comments(0)

虫のショート・ショート -第1話-

もう大昔の昭和42年(1967)10月、日本昆虫学会の創立50周年記念大会が上野の東京文化会館で開催された。そのおり、会期中に毎日大会新聞を発行することになり、ぼくがその編集長に任命された。ぼくはその役目をいいことに、くだんの新聞に毎号短い小説を連載した。さすがに実名で書くことをはばかり 「平塚四郎」 のペンネームで登載したが、これがぼくの書いた唯一の小説で、拙い文章ながら当時36歳の自分を思い出して懐かしい。あれから40余年、いわゆる “時効” でもあろうし、当ブログの担当者との雑談の延長であつかましくここに微訂正の上再録させていただくこととした。

2012年3月5日、報告:自然観察大学 学生 つくば市:けんぞう

………………………………………………………………………………………………

d0163696_19144486.jpg
第1話
(ノンフィクション)


炎 上

平塚四郎


 N食品株式会社の営業第一係長S氏は、会社の重役会が発展途上国では初めての支社をバンコクに創設することを決めたとき、いち早く転勤を希望した。
 会社は国内需要の伸び悩みから今度の新支社にかなりの期待をかけていたものの、すでに課長昇任が内定していたS氏を送ることにはかなり難色を示した。しかし、最低任期5年間という条件で、だれもS氏ほどの積極性を示さなかったことと、語学が堪能だった強みから、結局は支社長という異例の抜擢でS氏の赴任が決定した。

 4年経った。S氏の手腕は見事に立証され、バンコク支社は会社の売り上げの3割を占める、押しも押されもしない大支社に成長していた。しかし、それはS氏の営業マンとしての天才的な能力によるもので、S氏自身はそれほど粉骨砕身という毎日ではなかった。S氏はどんな僻地へも自ら率先して営業に出かけた。この支社長の陣頭指揮がどれだけ若い社員を奮い立たせたことであろうか。また、支社長の僻地出張は不思議なほどつぎつぎに成功していった。商品名がむしろ寒村から逆に都会地に伝わったことでもS氏の働きのほどが分かろうというものである。それでもなお、S氏は“粉骨砕身”の毎日ではなかったのである。

 そもそもS氏がバンコク行きを希望したのは、独身の気安さでも、会社の存亡を担う大それた意志でもなかったのである。驚いたことにS氏は蝶が採りたかったのである。とくに、東南アジアに生息し、鳥と間違えて鉄砲で撃たれたとの言い伝えのある、大きく美しいトリバネアゲハの仲間が飛んでいるところを見たいという(S氏が物心ついて以来の夢でもあったが……)、社長が聞いたら腰を抜かしそうなことがその理由であった。こうして4年。S氏の軽金属製の6個の大型トランクの中は、紙包みの蝶の標本で一杯であった。
 そして見た。マレー半島でアカエリトリバネアゲハの群飛を、ニューギニアで世界最大のアレクサンドラトリバネアゲハの雄姿を。おまけにサンプルのインスタント食品はどこに行っても、S氏自身がびっくりするくらい好評であった。

 いまや、N食品バンコク支社はS氏がいなくても万全の体制が整えられていた。最近の日本からの手紙では、S氏が5年を待たず、本社の営業部長に呼び戻されるという噂をひんぴんと伝えていた。
 S氏は今度の出張がおそらく支社長として最後の遠出になることを感じていた。そこで、まだ一度も行っていないスマトラ西部の熱帯林で、思い出深い南の蝶たちと決別しようと思った。
 同行を申し出る社員に、一人でものを考えたいと言い含め、いまS氏は目的地の熱帯林の開けた小さな河原で、インスタントニギリメシをマズそうに食べていた。これだけはあまり売れなかったなあと、つかの間の感慨にふけっていたが、そのとき、きらきら光る白っぽい物体が目の前を横切った。

 いつニギリメシを下に置き、いつ捕虫網を手にし、いつそれを振ったのか、手練の技は水もたまらず、その物体を見事にとらえていた。
 案の定、それは1匹の蝶であった。ゆっくりとそれを手にしたとたん、S氏の血は逆流した。手は震え、立っていることすら苦痛であった。その蝶は、白い翅の中央に金属光沢の青い帯が走り、裏面はルリ色に輝いていた。そして全体はトリバネアゲハの特徴をことごとく備えていた。
 信じられないことであった。トリバネアゲハの新種がいま手中にあるのだ。この仲間で最も珍しいといわれるブーゲンビル島産のものは、最近パリの競売で100万円以上の値がついて話題になったが、一体、この新しい種類はどのくらいの価値があるものなのか。もちろんS氏はそんな品の悪いことは考えない。ただ、世界が驚くこの新種を自分が発見した光栄に、涙を流して感動していた。早く帰らなければ……。

 夜の無風のバンコク空港に飛行機は静かに着陸しようとしていた。後部座席のS氏はベルトを締めて宝物を納めた小箱を両手でしっかり抱えていた。
 軽い衝撃―S氏にはそう思えた―をおぼえたとき、飛行機はS氏の座席のすぐ前から真二つに分かれ、次の瞬間、前半部ははるか前方で黄色い炎に包まれていた。
 いったい何が起こったのか。S氏にはわからなかった。紛失した小箱を闇の中で探し求めていたのである。
 「死者36名、生存者3名」の新聞記事を見たとき、はじめて身の凍る思いを、奇跡的な生存を身近に感じたのである。

 明るい社長室で、部長の辞令を受け、社長からねぎらいの言葉をかけられながらS氏はつぶやいた。「だれも信じないだろうな」。それは思いもよらず若くして部長に昇任した自分に対してだったのか、それとも……。

(日本昆虫学会50周年「記念大会かわら版」第2号<1967.10>より)
………………………………………………………………………………………………
本編のモデルは、在野のチョウの生態研究家として著名な五十嵐邁氏(1926‐2008)。氏は実際にタイで航空機事故に遭遇し、九死に一生を得ている。これを読んだ本人の感想は「大変光栄です」だった。また、当時アマチュア蝶界の指導者であった磐瀬太郎氏(1906‐70)は、大層喜び、「この記載に基づいて幻のトリバネチョウの模型を作って披露しようと思った」と語った。
………………………………………………………………………………………………

[PR]



by sizenkansatu | 2012-03-05 19:39 | その他 | Comments(0)

植物、虫、鳥など自然を楽しむ  ★写真の無断転載はお断りいたします★
by sizenkansatu
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新の記事

最新のコメント

> チョコさん コメン..
by sizenkansatu at 12:44
こんな感じの本が欲しかっ..
by チョコ at 14:10
鈴木裕子さん、コメントあ..
by sizenkansatu at 15:19
日経新聞で冬の雑草の記事..
by 鈴木裕子 at 19:35
アレチヌスビトハギ 最悪..
by EVIS at 15:16

検索

ブログジャンル