自然観察大学ブログ

虫のショート・ショート -第1話-

もう大昔の昭和42年(1967)10月、日本昆虫学会の創立50周年記念大会が上野の東京文化会館で開催された。そのおり、会期中に毎日大会新聞を発行することになり、ぼくがその編集長に任命された。ぼくはその役目をいいことに、くだんの新聞に毎号短い小説を連載した。さすがに実名で書くことをはばかり 「平塚四郎」 のペンネームで登載したが、これがぼくの書いた唯一の小説で、拙い文章ながら当時36歳の自分を思い出して懐かしい。あれから40余年、いわゆる “時効” でもあろうし、当ブログの担当者との雑談の延長であつかましくここに微訂正の上再録させていただくこととした。

2012年3月5日、報告:自然観察大学 学生 つくば市:けんぞう

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第1話
(ノンフィクション)


炎 上

平塚四郎


 N食品株式会社の営業第一係長S氏は、会社の重役会が発展途上国では初めての支社をバンコクに創設することを決めたとき、いち早く転勤を希望した。
 会社は国内需要の伸び悩みから今度の新支社にかなりの期待をかけていたものの、すでに課長昇任が内定していたS氏を送ることにはかなり難色を示した。しかし、最低任期5年間という条件で、だれもS氏ほどの積極性を示さなかったことと、語学が堪能だった強みから、結局は支社長という異例の抜擢でS氏の赴任が決定した。

 4年経った。S氏の手腕は見事に立証され、バンコク支社は会社の売り上げの3割を占める、押しも押されもしない大支社に成長していた。しかし、それはS氏の営業マンとしての天才的な能力によるもので、S氏自身はそれほど粉骨砕身という毎日ではなかった。S氏はどんな僻地へも自ら率先して営業に出かけた。この支社長の陣頭指揮がどれだけ若い社員を奮い立たせたことであろうか。また、支社長の僻地出張は不思議なほどつぎつぎに成功していった。商品名がむしろ寒村から逆に都会地に伝わったことでもS氏の働きのほどが分かろうというものである。それでもなお、S氏は“粉骨砕身”の毎日ではなかったのである。

 そもそもS氏がバンコク行きを希望したのは、独身の気安さでも、会社の存亡を担う大それた意志でもなかったのである。驚いたことにS氏は蝶が採りたかったのである。とくに、東南アジアに生息し、鳥と間違えて鉄砲で撃たれたとの言い伝えのある、大きく美しいトリバネアゲハの仲間が飛んでいるところを見たいという(S氏が物心ついて以来の夢でもあったが……)、社長が聞いたら腰を抜かしそうなことがその理由であった。こうして4年。S氏の軽金属製の6個の大型トランクの中は、紙包みの蝶の標本で一杯であった。
 そして見た。マレー半島でアカエリトリバネアゲハの群飛を、ニューギニアで世界最大のアレクサンドラトリバネアゲハの雄姿を。おまけにサンプルのインスタント食品はどこに行っても、S氏自身がびっくりするくらい好評であった。

 いまや、N食品バンコク支社はS氏がいなくても万全の体制が整えられていた。最近の日本からの手紙では、S氏が5年を待たず、本社の営業部長に呼び戻されるという噂をひんぴんと伝えていた。
 S氏は今度の出張がおそらく支社長として最後の遠出になることを感じていた。そこで、まだ一度も行っていないスマトラ西部の熱帯林で、思い出深い南の蝶たちと決別しようと思った。
 同行を申し出る社員に、一人でものを考えたいと言い含め、いまS氏は目的地の熱帯林の開けた小さな河原で、インスタントニギリメシをマズそうに食べていた。これだけはあまり売れなかったなあと、つかの間の感慨にふけっていたが、そのとき、きらきら光る白っぽい物体が目の前を横切った。

 いつニギリメシを下に置き、いつ捕虫網を手にし、いつそれを振ったのか、手練の技は水もたまらず、その物体を見事にとらえていた。
 案の定、それは1匹の蝶であった。ゆっくりとそれを手にしたとたん、S氏の血は逆流した。手は震え、立っていることすら苦痛であった。その蝶は、白い翅の中央に金属光沢の青い帯が走り、裏面はルリ色に輝いていた。そして全体はトリバネアゲハの特徴をことごとく備えていた。
 信じられないことであった。トリバネアゲハの新種がいま手中にあるのだ。この仲間で最も珍しいといわれるブーゲンビル島産のものは、最近パリの競売で100万円以上の値がついて話題になったが、一体、この新しい種類はどのくらいの価値があるものなのか。もちろんS氏はそんな品の悪いことは考えない。ただ、世界が驚くこの新種を自分が発見した光栄に、涙を流して感動していた。早く帰らなければ……。

 夜の無風のバンコク空港に飛行機は静かに着陸しようとしていた。後部座席のS氏はベルトを締めて宝物を納めた小箱を両手でしっかり抱えていた。
 軽い衝撃―S氏にはそう思えた―をおぼえたとき、飛行機はS氏の座席のすぐ前から真二つに分かれ、次の瞬間、前半部ははるか前方で黄色い炎に包まれていた。
 いったい何が起こったのか。S氏にはわからなかった。紛失した小箱を闇の中で探し求めていたのである。
 「死者36名、生存者3名」の新聞記事を見たとき、はじめて身の凍る思いを、奇跡的な生存を身近に感じたのである。

 明るい社長室で、部長の辞令を受け、社長からねぎらいの言葉をかけられながらS氏はつぶやいた。「だれも信じないだろうな」。それは思いもよらず若くして部長に昇任した自分に対してだったのか、それとも……。

(日本昆虫学会50周年「記念大会かわら版」第2号<1967.10>より)
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本編のモデルは、在野のチョウの生態研究家として著名な五十嵐邁氏(1926‐2008)。氏は実際にタイで航空機事故に遭遇し、九死に一生を得ている。これを読んだ本人の感想は「大変光栄です」だった。また、当時アマチュア蝶界の指導者であった磐瀬太郎氏(1906‐70)は、大層喜び、「この記載に基づいて幻のトリバネチョウの模型を作って披露しようと思った」と語った。
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by sizenkansatu | 2012-03-05 19:39 | その他 | Comments(0)

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